勘違い
これは記録用。
長男 2歳11ヶ月
彼の苦手が少し見えたエピソード
そして、私が勘違いしていたこと。
2月3日は節分。
豆まきという概念はまだないけど、豆を投げるのは楽しかったみたい。
次男は何を思ってみてたんやろう。
さて、本題。
コミュニケーションが苦手な長男。
最近思うのは、自分の要望を伝えることはできるようになって来ているけれど、どうしても受け取ることが苦手なんやなぁと。
これがしたい!
食べたい!
いやだ!
そういう気持ちがはっきりしてきたんやけれど、例えば、ご飯の前にお菓子を食べたいとか、スマホで遊びたいとか、あっちに行きたいとか、叶えてあげられるときばっかりじゃないとき、
あとでね!
先に◯◯してからね!
そういうことを伝えても、長男の中に入ってくる情報はぜんぶ
【思いが叶わない】ってことだけ。
いくらこちらが伝えても伝わってない。
伝えると、伝わるは違うと実感。
だからここ最近、ほんと長男が泣くことが増えた気がする。
発達ゆっくり関係なく、たぶんこれってどの子も通る道なんやろう。
泣く姿をみて、長男の成長と、長男が感じるもどかしさが見えるようで、心の中で、がんばれ!と応援してる私。
もう1つの私が勘違いしていたこと。
先日仲良くしてるファミリー4家族で食事をしてきた。
子ども産んで、こんなに仲良くつながれる家族に出会えるとは思わなかったと思うくらい大好きなみなさん。
子どもたち含めて16人!
みんなでワイワイごはんを食べるんやけれど、長男はそんな中でも、誰かがスマホをだせば、触りたいと泣いたり、うまく気持ちが伝えられなくてまた泣いたり(笑)
それをみて、
あぁ、やっぱり人がたくさんいる場面が嫌なんかなぁと、すこしちくっとする私。
でも、赤ちゃんのときから知ってるみんなだから、上手に長男と関わってくれるみんなに、なんかとっても嬉しい気持ちもあったり。
私も久々ににぎやかな外食、次男もご機嫌で。
宴もたけなわで、お開きしてから、みんなでお店を出た。
そのとき、長男は
「みんないっしょ!」
いつものお決まりの言葉。
そして、みんなでワイワイ歩くのが嬉しかったのか、飛び跳ねて、目をキラキラさせて
「みんな いっしょ きた!」
何回も言うけど、こんなに目って輝くんやーってくらい嬉しそうにしていた。
人が苦手なんやない。
ほんまは、みんないること、人が大好きなんや。
室内に入ると、
ごはんや、おもちゃや、人や、情報が多すぎて処理できなかったんやろうと思う。
視覚優位な長男には、目に飛び込んでくるものが多すぎるのやろう。
外にでて、やっと、情報がしぼられたんやとわかる。
たくさんのモノや人、
長男が大好きなモノや人、
優先順位つけられるまで、まだ時間はかかるやろうけど、見守ろう。信じよう。
障がいってことば好きではない。
でも、長男をみていて、〝障がい〟が『ある』のではなく、周りのいろんな人やモノを〝障がい〟と思う場面が『ある』ってことなんちゃうんやろうかと、ふと思う。
それなら、なんか腑に落ちる。
その〝障がい〟を周りが理解できれば、手を差し伸べるだけ。
すごくシンプルやと思う。
それぞれの階段
次男7ヶ月を迎えました。
はっやいわー
寝返りは嫌いやけど、まぁできるし
お座りも最近はできるようになってきたし
何よりびっくりしたのは
名前を呼ぶと、こっちをみて、ニッコリ
こんな早くから反応するのですね。笑
次男を生んでから、長男との違いを目の当たりにする。
もちろん、どっちが良い悪いではなく、どっちもしっかり個性があるから面白いのですが♡
長男は名前を呼んでも、なかなか反応が今も薄い。
100メートル先にいはるような気がする。笑
でもね、
「おかし食べる?」には
反応はピカイチ。
どういうこと?笑
長男の絵本やおもちゃを容赦なく、触りにいく次男に
「やめでー!」と弱々しく抵抗する長男。
もう2人の構図が出来上がっていて、ごめんやけど笑ってしまう。笑
長男が1歳半くらいの頃、周りの同じくらいの歳の子は、
「ママー」って
お母さんの名前を呼ぶのがすごいうらやましかった。
ママと教えてないからかなぁ?とも思って、うちはまだゆっくりかぁ、とそのときは構えていたけれど、2歳に差し掛かる頃も、呼ばれることのない私(笑)
挙げ句の果てに、2歳半になるころ
「とうしゃん!とうしゃん!」と
旦那を連呼する長男(笑)
ちょっと嫉妬どころではない。
寂しくて、悲しくて。
その頃、次男生んだところで、赤ちゃん返りもあったのか。
でもたまーに
「かあしゃん」と
促されれば言えるようになってきていた。
今月で3歳を迎える長男。
ここ最近やっと、私の顔を見て
「おかあさん」と
言ってくれるようになった。
お出かけするとき、「おかあさん」といって、私を待ってくれる。
療育にお迎えに行ったら、「おかあさん きた!」と先生に私がきたことを伝えてくれる。
テレビを見ていたら、「おかあさん」と、私の顔を見て手を握ってくれる。
おかあさん
その言葉がこんなに嬉しいなんて思わなかった。
3年待った甲斐があったなぁ。
幼稚園 体験入園
先日、可愛い仕事の後輩とお茶をして
お洒落な飲み物を飲んで、たくさん話をした。
仕事の話をするのも聞くのも好き。
日々身を置く子どもと私っていう世界が、いかに狭い世界かと感じる。
でも最近は、そんな狭い世界に身を置いてるじかんがあってもいいよねとも思う。
そんな寒い今日は、次男と家でほっこり。
さて、先日長男の幼稚園、体験入園でした。
無事に体験入園いけるやろか、と、漠然とした不安の中、あれよあれよと母子分離、長男はおもちゃに夢中で素知らぬ顔。笑
私は次男といっしょに、先生から、4月までに準備するものの確認などの話を聞く。
幼稚園での教育方針をお話ししてくださった中で先生が言っていたことば。
「子どもによって、成長の度合いはいろいろです。
うちの子はできるのに、なんであの子はこれできひんのやろ?
なんでこんなことするんやろう?
あの子はこんなことできるのに、うちの子はまだできない、、、
たくさんの子どもにいろんな想いをもつと思いますが、それぞれの子がまだ成長段階で、色々だから面白いんです。だから色々な子がいていいんです。
お父さん、お母さんも、幼稚園ではそういう気持ちで見守っていてください。」
親もきっと幼稚園で教えてもらうことがいっぱいある。
まだ始まってはいないけど、大きい気持ちで、笑顔で4月を迎えようと思えた。
そして、体験入園を終え、急いで長男がいるホールにいくと
めっちゃブランコ乗り回してる。
背もたれないブランコ乗ってるとか初めてみたし!!笑
親の心子知らず。
いや、でもそれでいいねん(^^)
勲章
一足遅い初詣
やはり初詣にいって、おみくじひかないと、今年キタ!って気がなかなかしないですね(笑)
単純ですが、気配はいりました。
今年も家族仲良く、笑いたくさんの一年にしよう(^^)
あ、気になってた本を読んだんですよ。
2人の発達グレーのこの子育てをしてはる、モンズースーさんの体験記。
モンズースーさん自身も子育てをして、発達障害に気づかれたとか。
漫画だがらスラスラ読めて、共感することもあれば、大変やなぁと客観視することもあったり、、、
発達障害は一言ではいえないなと改めて。
そして、誰しもが
発達障害かもしれない「特性」に当てはまることが、必ずあるんじゃないかなーと思う。
長男を見ていて、
同じテレビの回ばかりをみたがったり、不器用さやったり、人との関わりを避けたがったり、私はなんとなーく共感できる。
ほな、それって発達障害なんか?
これって実際調べてみなわからん話やけど、だれしもが自分の「特性」とうまく付き合いながら生きてる。
これって、発達障害であろうがなかろうが、度合いはあれど、みんな同じ。
発達障害やから
それをネガティブに、偏見でみるんやなくて、
いろーんな人がいる、それで社会は成り立ってるみたいな、そんな認識を持つ人がたくさんいたらいいなと思う。
モンズースーさんの本を、旦那もちらっとみたらしく、
「長男に当てはまることがあって、どきっとしたわ。将来、診断名がつくこともあるんかもな。」って。
確かに、そういう日がくるかもしれへん。
診断名がおりたら、きっとショックやろな。
でも、もし過去に戻れるとしても、長男と次男が自分の子に生まれてきてくれることを、私も旦那も間違いなく選ぶ自信がある。
だから、発達障害って言葉は今でも怖くてたまらへんけど、家族が生きていく上では、こだわらなくていい。
そんなことを旦那と話してたけど、暗くなるわけでもなく、2人とも笑顔で話せた。
なんか、ええやん!
なんで我が子って、こんなに可愛いの!?笑
ちなみに、私は生まれた時に、ファロー四徴症という、まぁまぁ重い心臓病で生まれてきて、1歳と6歳の時に、開腹手術をしました。
入院もたくさんしたし、障害者手帳ももってる。
胸には今でもくっきり傷があるし、小学生のときスポーツに制限があったりすることも、なんか人と違って嫌やった。
でもね、父方のおばあちゃんが
「胸の傷は、あんたの勲章やで」って言ってくれた。
その言葉で、障害は勲章に変わって、人と違う胸の傷も心臓病も気にならなくなった。
人と違うことは、勲章。
自分の大切な一部。
子たちに伝えていける母になるよ!
謹賀新年🎈
新年あけましておめでとうございます。
長男が冬休みにはいり、なかなか時間がなくブログが更新できませんでした。
ふっと頭がクリアになる時間がないと、なかなかきちんとした文章になりませんね。
そんなこんなで、今年もゆるっと更新する予定です。
よろしくお願いします🤲
クリスマスやお正月、いつもとは違うワクワク感は大人になっても変わらずあるものですね。
唯一違うのは、子どもたちがどのイベントも中心であるということ。
子どもたちが笑顔であればあるほど、やっぱり親はうれしい。
私は、お寺に嫁ぎ4年弱。
今年ははじめて、年末のお餅つきから、お正月の準備、年始のご挨拶まで例年以上に関わらせてもらいました。
世間がお休みになると、忙しくなるのがお寺。
「大変でしょう?」と
よく言っていただきますが、檀家さんが節目節目にご挨拶にきてくださり、言葉をかけあい、おまけに子どもたちの成長を喜んでくださったりするこの場所が、大好きです。
子どもたちもお正月はおめかししてお手伝いです。
今年は、長男が幼稚園、次男は一時保育の予定。
どんな風に成長するかな、大丈夫かな?
結局心配ばかりの母です。
昨日『はじめてのおつかい』というテレビ番組がやっていました。
子どもを産んでから、なかなか涙なしにはみれなくなりましたが、昨日もなんとなく観ていると、買い物をしてる小さい女の子。
やーん。かわいい。3歳くらいかな?
と思って見ていると、なんと
2歳11ヶ月の女の子!
長男とほぼ一緒やん。
ペラペラとお話をして、目的地まで歩いてる。
それをみて、なんか心がどんよりする私。
比べてる。またまた比べてる。
慌てて、テレビのチャンネルを替えました(笑)
こういうモードのときは、思い切って逃げる!です👍
そんな長男の最近の口癖
「ピンポーン!せいかーい!」
「おいしいハンバーガー!」
この前はじゃがりこを食べながら
「おいしいハンバーガー!」と言っていたので、ややこしいわ!と大笑い😊
笑顔でいきましょーー!
みんないっしょ
めっきり年末感ですね。
慌ただしく毎日過ごしています。
次男が今月で生後半年。
それが最近の中で一番信じられないこと。笑
(トイレの個室の椅子に赤子を座らすと、なんでこんなに可愛さ増すんでしょう。笑)
前回のブログの締めくくりにあった、長男の口癖である
「みんな いっしょ」
長男は本当にこの言葉が好きで、
ご飯中も
寝る前も
お風呂に入るときも
いつも言うてるわけです。
このぬいぐるみのティミーちゃんにも言う始末。
思い返してみると、自分が子どもの頃、家族一緒、それだけでとても満足していたように思う。
物心ついたときか、お正月の初詣では
「家族みんな、健康に仲良く過ごせますように」
と願ってたのですよ。
いやいや、わたし、すごい良い子でしょ?と言いたいのではないのです。笑
小学生くらいの時、運動も勉強も得意ではなかったから、それでも自分を認めてもらっている、ここにいていいんや
と、思える場所、それが家やった。
学校って、勉強と運動、それで判断されるように思っていたから、私にとっては、とても苦手な場所。
休み時間のドッチボールも、Sケンも、私にとっては苦痛でしかなくて(笑)
大人になって、社会人になって、勉強や運動できるできないで判断されない社会
自分が頑張れること
それを頑張ったら認めてもらえる仕事や会社
学生という立場を卒業してはじめて、
自分がここにいていいって場所がいろんなところにみつかったような気がする。
ここにいて
認めてもらっている
大切に思ってもらっている
そういう感情って、子どもでも十分感じるし、逆もしかりなわけで。
長男にとっての
「みんないっしょ」
そう思って、笑える場所、帰る場所、ちゃんと家にあるようにしてないとなーと思う。
ちなみに、うちの両親は、私が中学に入る頃に離婚し、その後は妹と父と離れて生活することになったから
「みんないっしよ」
が続くことはなかった。
だからこそ今、より長男の言葉や、家族という形のないものに、いろんなことを感じることが多いのかもしれない。
毎日バタバタして、ふと鏡に映る自分をみて
おばはん丸出しやん!と思う時もあるけど(笑)
家族で過ごしていて、ホッとした時に、子どもの頃の自分に伝える。
「家族みんな、健康に仲良く暮らせますように」
願い叶ってるよーって。
だいじょうぶ
先日、興味があって行ってきたのはこれ
会場ががっつり研修会場で焦る(笑)
療育に張り紙してあったから、なんとなくママたちが多いのかと思いきや、赤ちゃん連れが私ともう1人くらいで、あと70人くらいが着席。
レジュメもあるし。
内容はというと、発達障害の子を育ててこられた親御さん3名が、自身の子育てのことを話すという内容でした。
うち2名はもう、お子さんが大学や社会人になってはったり、もう1名の方は、自分も発達障害で、その二次障害に苦しんだ経験から、小学生の子どもさんを無理に小学生に行かせてないらしく、試行錯誤、すべて子どものことを思って、子育てされてきた様子が手に取るようにわかる内容。
発達障害を持っていても、大学に行ったり、一人暮らしをしたり、アルバイトをしたり、そんな、いわゆる〝普通〟な話を聞いて、親としてどこかホッとしている自分に気づく。
私は今もみえない〝普通〟にしばられているのやーと客観的に。
私は心の中で障害を自然に差別しているのかもしれない。
そのことが、この研修からずーっと消化しきれずにいる。
「私の家に生まれてきた子は変な子。でも変な子を育てる22年間、とても充実していて、うちの子がうちの子でよかったと思っている。」
「子育てをはじめて、大変なことはいっぱいあったはずなのに、今は全然思い出せない。いくつになっても我が子は【今】が一番かわいい」
そんな話がとても印象的で。
でも一番印象に残った言葉が
「子どもは育てるじゃない、育つんです。焦らなくて大丈夫!大丈夫です。」
研修のタイトルにあるような、なんでもない言葉をきいて、ぐっとくるものがある。
我が子が発達障害かも!?と思ったとき、誰かにずーっと言って欲しかった言葉。
だいじょうぶ
何に対してかわからないけど。
今だって漠然とした不安があって。
でもきっと、なるようになる。
そう言ってもらいたかったのやなぁと気づく。
この研修を受けて、障害って言葉が、すごく邪魔にも思えたり。
誰かに説明するとき、アスペルガーとか、自閉症という言葉で、ちゃんと伝わるのやろうか。
変な固定観念だけ伝らへんやろうか。
もっと、ポジティブな伝え方があるといいな。
障害あるとか、定型発達とか、そんなん関係なく、将来がある。
私がとらわれて止まない〝普通〟って言葉も嫌(笑)
みんな違うくていい。
長男がよく最近いう言葉
「みんな いっしょ」
家族いっしょ、みんな一緒。
それが在ることでいいはずやのに。
親はどうしても求めすぎてしまうね。
何回も自分にも、まわりにも私は言おうと思う。
大丈夫!なんとかなる!