まるこのぶろぐ

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おばあちゃんがしんだ

前回から間が空きました。

私は元気です。

 

大きな地震、子どもたちの体調不良、そして、

私の母のようなおばあちゃんが突然亡くなった。

それから大雨がふって、いたるところでの災害。

振り返ると、本当にこの1ヶ月盛りだくさんだった。

 

おばあちゃんのこと。

ふれずに他の話題にいくことがどうしても

無理なので書かせてほしい。

長くなるので、興味ない方はスルーでたのみます。

 

1ヶ月前の月曜日のこと

おばあちゃんと一緒に住んでいる叔父から

連絡があった。

 

「昨日からおばあちゃんが帰ってない。

携帯も置いていってて、車はない。

どこに行ったかしらんか?」

 

知るわけないし、またいつものように家出した

のかなぁと思っていた。

叔父と喧嘩しては、たまに近くの温泉施設に

泊まりにいったりしていたこともあったし、

その時はさほど心配していなかった。

 

 

おばあちゃんは私の母親のような人。

私は小学6年生から、おばあちゃんの家に

預けられ、成人まで育ててくれた。

中学から高校まで毎朝お弁当をつくってくれ、

塾に行って遅い時間に帰ってきたら、

お餅を焼いて夜食に出してくれた。

よくお抹茶をたててくれた。

早く起き!早く風呂入り!と、いつも

何かいうてくる。

長男の発達のことを心配して、NHK

発達障がいのことを特集していれば、

すぐに電話をかけてきて、今やってるから観なさいよ!と教えてくれた。

誰よりも周りのことを考えてくれる、

口うるさいけど、この世で一番頭が上がらない

大好きなおばあちゃん。

 

いなくなる前の週にも、私の家族と一緒に

ご飯を食べて、次男がたくさんご飯を

ほうばるのを、大喜びしていたし、

よう食べてはった。

 

 

叔父から連絡を受けたあと、大阪北部を

震源とした地震が起こった。

 

めちゃくちゃ揺れた。

母に連絡をとったりしてる中、私は次男と

家にいて、長男は旦那と幼稚園に向かう途中。

 

頭の中が混乱して、何が何かわからない。

地震はおさまったけど、おばあちゃんどこいっ

たんやろう。

 

間も無くして、長男の幼稚園休園が決まり、

長男は旦那と帰ってきた。

 

テレビ番組がぜんぶ、地震関連のニュースになる。

えらいこっちゃ。

大阪京都の電車も全部止まったらしい。

えらいこっちゃ。

 

それにしても、おばあちゃんどこに行ったんや。

 

母に電話。

叔父と母が行方不明届をだしに警察にいくことを聞く。

 

お昼に近づこうとしたとき、地震があったら

絶対連絡なりあるやろうと思った。

さすがに心配になってきた。

 

車で崖から落ちたんやろか。

 

母に電話する。

 

「おばあちゃんの借家みにいってくるわ。」

母はそういっていた。

 

おばあちゃんはいくつか借家を持っていて、

たまに借家の壁の補修をしたり、掃除をしたり、

みにいっていた。

母に、洗濯したカーテンを付けないとといって

いたらしい。

 

 

 

 

 

ここからどんな風に連絡を取り合ったのか記憶

が曖昧。

おばあちゃんは借家で倒れていた。

 

 

 

おばあちゃんは死んでいた。

 

 

 

警察で検死にまわされた。

死因は、虚血性心疾患

前日まで妹家族とご飯を食べ、元気にしていた

らしい。

 

 

検死で一日警察に保管され、

次の日やっとおばあちゃんに会えた。

 

おばあちゃんはどんな時でもしっかり化粧をす

る人やった。

私は幾度となく、おばあちゃんの化粧する姿を見てきた。

母と一緒におばあちゃんがやっていたような

化粧を施すと、生きているような顔になった。

 

私はあんなに寝てるみたいな死んだ顔に出会った

ことがない。

いびきが聞こえてきそうなくらいの顔。

でも、かすかに口から匂う匂いが、生きてる人

の匂いではないなと、冷静におもう。

 

 

私はまだ何もお礼が言えてない。

長男や次男のこと、日々のこと、伝えたいことが

きっとこれからもいっぱいある。

温泉いきたいねと言ってた。

次男のお誕生日のこと、気にかけてくれてた。

てか初節句もおばあちゃんだけ、ちゃんと次男

にもしなあかんと言ってくれてた。

そんなことを思いながら、子どものことに

折り合いをつけつつ、バタバタとお通夜も

お葬式もおわってしまった。

 

どこかで読んだことある。

骨になったおばあちゃんの、骨のかけらを少し

口含んでみた。

砂みたい。

噛むのはなんか気がひけたので、そのまま飲み

込んだ。

これでいつも一緒。

でもおばあちゃんが死んだ日から、私の心にはぽっかり穴が空いた。

月並みなことを言うようやけれど、未だに

どこか信じられないし、3日に一回は電話を

していたから、お願いだから、おばけでも

いいから、電話がなればいいと思う。

 

夜中トイレにいくとき、おばあちゃんが

おばけで出てこいと、どこか願ってしまう。

 

突然いなくなる。

今回の災害でもそうやけど、そういうことが

こうして突然訪れる。

悔いのないように。

そう思っていたけど、悔いしかない。

悲しさに浸る時間なんか、ほぼない。

独身やったら、多分ずっと泣いてたけれど、

泣いたのも数えるほど。

毎日の子育てで私の感情はあとまわし。

でもだからこそ心がシャンといれるところもある。

長男も 「大ばあば、ねんね」といっている。

 

もうすぐ土用の丑の日

おばあちゃんに、

「うなぎ食べにいこうか」と

いつもなら電話をしていたと思う。

 

おばあちゃんはもういない。

 

最後の会話は、

「おばあちゃん、ありがとう。ごちそうさま。

またいくわ」

と、実家の前でバイバイした。

 

いつかそっちに行くから、そのときは笑顔で迎えてね。

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